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暖かい樹のブログ

楠樹暖の覚書

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みなし宇宙の空虚五度

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宇宙を表現する音楽で、『空虚五度』というものがある。三つの音からなる和音の真ん中の音を抜いた状態のことである。

ドミソの和音は、一度のド、三度のミ、五度のソからなる。このうち、三度のミがミならメジャー、ミ♭ならマイナーとなる。メジャーは明るい感じ、マイナーは暗い感じの音楽である。

空虚五度はミの音を抜いて、一度のドと五度のソだけである。メジャー、マイナーを決めるミの音が無いため、空虚五度では明るくもなく、暗くもない音楽となる。それが宇宙的というのである。

どちらでもないというと思い出す単語がある。『無記』である。唯識哲学では、善でも悪でもない存在として無記がある。世界を作り出している認識の最深部である阿頼耶識は無記であるとも言われている。

唯識といえば『空』である。一度と五度だけで三度が空っぽの空虚五度が宇宙を表すなら、宇宙の本質は空である。

物質がなから空というが、本当に何もないのだろうか? アインシュタイン特殊相対性理論では、E=MC^2とエネルギーと物質が等価であるとしている。物質がない空も実はエネルギーに満ちていると考えられる。パワーに満ちているのである。

ここで、音楽に話を戻すと、ロックの世界ではパワーコードというコードがある。パワーコードとは、「メジャーコードもしくはマイナーコードの第3音を省略し、それにより音の濁りが少なくなるため純粋かつ力強い音を醸し出す事が出来る」というものである。これは、空虚五度と同じである。パワーに満ちた宇宙はやはり空虚五度だったのである。

空虚五度での音楽で宇宙とみなす「みなし宇宙」は、ドミソからミをなくした「ミなし宇宙」なのである。