P・K・ディック『ヴァリス』の面白さ(ネタバレ編)
昨日に引き続き『ヴァリス』を語ります。
今回は、ネタバレ編です。
『ヴァリス』に限らず、色んな作品のネタバレがありますので、気にしない人だけ先に進んでください。
『ヴァリス』では主人公フィル(フィリップ・K・ディック)が友人のフォースラヴァー・ファットという人物について語っていて、一緒に行動しているように書かれています。
でも、話の終盤、救世主かと思われる少女ソフィアにフィル=ファットと指摘されて、ファットが消えてしまいます。
この別人だと思っていたのが実は本人だったというのが『ヴァリス』のキモです。
でも、不思議なのは物語の序盤で
ぼくはホースラヴァー・ファットだ。そしてぼくはこれを、必要不可欠な客観性を得るべく三人称で書いている。
と宣言しています。つまり一人称のフィルが自分を第三者として書いていると言っているわけです。読者としてはフィル=ファットなのですが、物語は完全に別人として進んでいて、読者に対しても別人だよって言っているように見えるので混乱します。
他にもソフィアに指摘される前にもランプトンにフィル=ファットは指摘されています。
「情報は友人のホースラヴァー・ファットに放射されたんです」
「でもそれって君だろう。『フィリップ』はギリシャ語で『ホースラヴァー』、馬を愛する者という意味だ。『ファット』は『ディック』のドイツ語訳だ。だから君は自分の名前を訳したわけだ」
ぼくは何も言わなかった。
こっちでは、ファットは消えずにスルーされています。
フィルがファットについて話すとき、他の友人たちはどうしてるんでしょうか?たぶん、話を合わせているのだと思います。
この状況と似たのを最近アニメで見ました。
『がっこうぐらし』です。
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四人の女子高生の話で、主人公の女の子が頼りにしている先生が居て、影が薄くて他のみんなに気がついてもらえない人です。元から居た二人は主人公に話を合わせていますが、あとから来た子は先生に対して話すときにはうまく話が合わせられなくて困っています。
主人公にしか見えない人っていう観点では、『東京マグニチュード8.0』というアニメもあります。遊びに行った先で大地震に遭い、弟と家に帰るんですが、弟は途中調子が悪くて倒れてしまいます。その後、主人公と弟は帰宅を続けるんですが……。
この二作品では、受け入れがたい事実を認めないための心理機制だと思われます。
『ヴァリス』のフィルの場合はどうでしょう?
グロリアの死もありますし、それより以前に奥さんも亡くしているのが原因かと思われます。
若干話は逸れますが、ジョン・C・リリー『サイエンティスト』という本にこういう記述があります。
三人称で語るのは大変有効な方法のように思う。もし一人称で話していたら浮かんでこないようなことが浮かんでくるから。
リリーの場合は、精神分析医と話をするときに、自分を高次の存在として、リリー自身は第三者として扱って話をしてたようです。
最初のほうの分析で、一人称で話していたときと違って、自分の話していることに感情が伴わないんです。
主観的に話すと感情的になり、客観的に話すと落ち着いて話せるようです。
NLP(神経言語プログラミング)のテクニックにも、辛い記憶を和らげるには、記憶を主観的でなく客観的に変換するというのがあったと思います。
話を戻します。
フィル=ファットというのは分裂した自己が統一されるという一種のクライマックスだと思うので、物語としては、叙述トリックミステリーのように、それまで秘密にしてここで一気にネタを明かすという持って行き方の方が盛り上がると思うのです。しかし、最初から宣言しているので、アレ?アレ?と読んでいて不安にさせられるのです。
この不安というのが、ディックの他の作品でも感じる「アレ?これって現実だよな?違うかな?」という感じに似ています。
意図して書いているのか、勝手にそうなるのかはよく分かりませんが、それがディックの魅力の一つかもしれません。
『ヴァリス』の引用はハヤカワの新訳版のKindle版を使っています。